同じことを考えている人が多い

「あのー、最近出版された本なんですけど、いとうせいこうさんの『「国境なき医師団」を見に行く』は有りませんか?」

とある駅前の新刊書店2件で問うたところ、在庫は無く取り寄せとの返事。出版社にも残り少ないらしい。なんだ、同じことを考えている人が多いんだなあ。店を出て、iPhoneで調べてみると、PCでも読める電子書籍ならすぐに買えるとのこと。いや、それじゃあ駄目なんだ。紙の本でなければ。ちょうど時間が空いていたので、地下鉄に乗って、おそらく東京では一番品揃えがいいだろう大型書店に赴き、無事に購入。

この本はインターネット上での連載をまとめたものであり、私はニューズウィーク日本版での記事を二つ読んだところで、「こんなに面白いなら絶対に紙の書籍の形で出版されるから、それで読もう」と決めた。案の定、11月末に新刊広告で目にし、そろそろ小さな書店にも届いている頃だろうと12月半ばに足を運んだところ、売れ行き好調につき品切れ。増刷になるのかもしれない。

しかしブラウザ上なら全文を無料で読めるのに、紙に印刷した書籍のかたちじゃないと満足しない層が相当数いるのだなあと改めて実感した。 「表示」と「印刷」の差。浮遊しているものと定着しているもの。

 

もちろんそれだけでなく、いとうせいこう氏の文章にあふれる熱気によるところも大きいはず。話題になった小説『想像ラジオ』でも、軽妙な調子から一転、その猛々しさが現れるのだが、今回の新刊では例えばこんな箇所。シリアからギリシャに逃げ延びてきた人たちをケアしている「国境なき医師団」のメンバーと、レストランで食事をしながらの長い語り合いを終えて。

俺はあとについてしばらく歩き、自分はこの国で起きていることから目をそむけられないと思った。遠い西洋で起きている無関係な事象ではなかった。それは人類の政治史の問題でもあり、戦争史のひと幕でもあり、哲学と行動の倫理を問う機会でもあり、何よりまず人間がどこまで人間的であり得るかの正念場でもあった。

こういう熱く内省的なくだりは、みうらじゅん氏との共著『見仏記』シリーズでも時折現れて、いとう氏の文章の魅力になっている。ネットの連載を目にした多くの人たちが、これはいとう氏が直に触れてきたことを書いているのだから、ディスプレイの「ガラス越し」に読むわけにはいかない、と感じたのかしらん。いやいや、みんなが同じことを考えているわけではない。消費者心理はそんな夢想とは落差があり、実際は電子書籍の売り上げがとても好調だったりして。

書籍から離れてしまうけど、例えば近年我が国も美術館での展示の仕方に変化が起きていて、絵画などをガラスをはさまず直に観覧できるようにしている場合がある。慣れないうちは、あまりの生々しさにひるんでしまう。目で直接触れる感覚。そうそう、パンダも上野動物園では「ガラス越し」だけど、和歌山アドベンチャーワールドでは「ガラス無し」。

あと個人的には、電子版で小説を読むと「声」がよく聞こえない印象がある。会話文のみならず、地の分も然り。話の筋は頭に入るけど、読後に物足りなさが残るのである。但しこれは世代的な壁なのかとも思っていて、いわゆるデジタル・ネイティヴの人々とはきっと共有できない感覚なのだろう。