どうも福祉ではなくなる

先日、オーストラリアに暮らす実兄から、「日本で売っている『左利き用のハサミ』というのを送ってほしい」との要望が届いた。小学生の甥が左利きで、普通のハサミを使いこなすのに苦労しているとのこと。何かのついででよいと言うので、ネットで取り寄せたりはせず、大きめの文房具店に入ったときなどに探しているのだけど、見つからず。そんななか、ちょうど左利きの女性二人と話す機会があったので、そのハサミについて訊ねてみると、口を揃えて「やめたほうがいい」と言う。家や学校で自分専用の左利きハサミに慣れてしまうと、将来社会に出たときに必ず苦労するから。勤務先には「普通」のハサミしか無いのだから。

その旨を兄に伝えると、「そういえばそうだね」と納得。兄自身も左利きで、箸を持つのは左手だけどペンを持つのは右、という風に「矯正」してきたから、いろいろ思い当たることもあるはず。

しかし「矯正」。最近の傾向としては、無理に左利きを直さないようになっているとも聞く。やっぱり左利きの人は専用のハサミのほうが楽だろうし。一般用と専用の両方を使いこなせればいいのか。いや、だったら私のような右利きのひとでも左手でハサミが使えたら便利な局面もあるかもしれない。「左利き用のハサミ」ではなく、「左手用のハサミ」。

もうすぐ平昌オリンピック・パラリンピックが始まるけれど、パラスポーツに関しては、「俺も片足の膝から下が失われたらこういう風に走るのか」という風に観るようになったら、俄然面白くなった。これをさらに道具へと着目するなら、例えば車椅子バスケット。あの車椅子は、足の自由が効くひとが天井の低い現場で狭い通路をキビキビと動くのに良いかも。一方で、短距離走における義足の進化は目覚ましく、ある人はこう予言する。「最速の栄誉を得んがために、自ら脚を切断して義足で走ることを選ぶ者が現れるだろう」。

まあ、競うようなひとたち、言い換えれば「強い」ひとたちばかりを見ても偏ってしまうわけで、改めて思うのは、左利きのひとたちは工芸製本をするにあたって、苦労している面もあるのではないか、ということ。「革スキ包丁」や「革裁ち包丁」は完全に右手用。当事者に伺ってみたい。「左手用のハサミ」が、左利きのひとたちを労苦から解放するのなら、私の店でも扱うべきだと思う。