民俗学的アプローチは無効か

リーブルの岡野暢夫先生の技術を記録したいと思い、少しずつ動画に保存している。撮影のほうの技術が未熟で、公開に至るまで時間が掛かりそうなのだけど、それはそれとして、「あれ、そこんところって、そうやるんですか!?」という風に、私自身が教わって理解していたのとは違う方法で岡野先生が作業をする場面がこれまで二度あった。先生は「昔から誰にでもこの方法を教えてますよ」とおっしゃる。私流のやり方でも何ら問題はないのだけれど、こうした時間の経過のなかで生じる「違い」は地味ながらも興味深い。文化の伝承・伝播を考えるうえで。

例えば私とほぼ同時期にリーブルに通い始めた、福岡で活動しているヒラヤマトモコさんは、何だか姿を見ないと思ったらフランスに三年間留学していたとのことで、そうなるとおそらく二系統の教えを自らのなかで調整しながら上手く一本化しているのだろう。

福岡とその近郊からは、道具や材料の注文がどこよりもたくさん届くので、手製本が盛んであることが推測できるのだけれど、それは「地域性」のようなもので語ることは難しいかも。近隣で良い材料が産出されているなどの理由があるわけでもなく(八女の和紙産業はだいぶ衰退しているらしい)、結局はヒラヤマ君たちの属人的な活躍によるものではないか。いや、属人的な活躍に呼応するひとが多いという地域性なのか。

 

 最近読み返している『宮本常一と写真』(平凡社コロナブックス 2014)に、民俗学者・宮本の言葉として、こうある。

文化は一様に一斉にすすんでいくのではなく、ひとりひとりの意志と技術を持つ人びとのからみあいによってすすんでいったものである(略)。

なるほど。

各都道府県名ごとに「製本教室」でネット検索してみると、結構ヒットする。絵本の制作を主に行っている教室が多く、それはいわゆる手製本ではなさそうだけれど、どんなことをやっているのか知りたいと思う。